生きづらさの科学

心の科学室

現代社会でなんとなく感じている「生きづらさ」

年々増加するうつ病

昔はそこまで問題視されていなかったのに、なぜ現代になって増えてきたのか?


上の世代の人たちは「今の若者にはエネルギーがない」とか

「今の若者は根性がないからうつ病になるんだ」とか

言ってくる人も一部います。


ですが、それはあまりに安直な考えであると言えます。        

なぜならそういう単純な問題ではないからです。              

そしてこれは誰が悪いという問題でもありません。

ではなぜ現代は生きづらいのか?

それは世の中が便利になりすぎているからです

便利になる=人の価値が下がる

一見、世の中が便利になることは良いことのように見えます。

しかし、その弊害が現在進行形で現れてきていると言えるでしょう。

例えば、食器洗い洗浄機がなかった頃、街の飲食店は全て手作業で食器を洗う必要がありました。そのため当時の経営者は「食器を洗ってくれる人間」に価値を感じて、その労働力を買っていました。

当時の労働者は1枚の皿を洗うだけでそれなりのお金をもらっていました。

しかし食器洗い洗浄機ができてから、経営者は「食器を洗ってくれる人間」に価値を感じることがなくなり、「労働力」を買わなくなりました。

その結果、洗浄機で効率よく皿を洗い、回転寿司のように大量に売り物を生産できるようになりました。労働者は機械を効率よく回す能力を求められるようになり、大量の皿を洗う必要が出てきたのです。

この例から「皿1枚を洗う労働力」の価値が下がっていることがお分かりいただけたでしょうか。

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また、筆者は土木設計の仕事をしています。橋梁に荷重をかけても壊れないかをチェックする際、パソコンの電算ソフトを使って計算していますが、パソコンがない時代はソロバンを弾いて計算していたのだろうと想像します。

ソロバンを使った手計算で設計するのは、かなりの手間ですが、設計を依頼した建設会社(クライアント)は、そのことを承知で手間賃としてそれなりのお金を設計者に支払っていたそうです。

つまりクライアントは「手間のかかるソロバンの手計算をやってくれる労働力」に 価値を感じ、お金を払ってくれていたのです。

不便で時間がかかりますが、1橋梁設計するだけでも食っていけるだけのお金を稼ぐことができます。

しかし、コンピュータが出てきてから、計算に手間がかからなくなり、「計算をしてくれる労働力」に対して感じる価値は下がりました。そして便利になった分「ソフトあるんだから早く計算できるよね?」となり、効率が重視されるようになりました。

その結果、同じ額を稼ぐために、複数の橋梁を設計する必要が出てきているのです。(とはいえ人の経験と知識が必要な仕事なので、まだまだ人の需要がある業種だと感じてはおります)

新人教育の難しさ

また便利になりすぎることで、企業は新人を育てにくくなります。

コンピュータがない時代は1つの橋梁を設計するのに時間をかけていたので、ベテランと新人で作業時間にそこまで差がありません。

1つの橋梁を設計すると言っても、法律やら構造力学など覚えなければいけないことが山ほどあります。それらを習得するには1つの橋梁をじっくり計算してみて、徐々に覚えていくのが望ましいのですが、今は難しい計算はコンピュータに任せて、効率よく多くの橋梁を設計することを求められています。

新人は最初のうちは知識がなく、設計に時間がかかるものですが、だからと言ってクライアントが手間賃を多く払ってくれるわけではありません。

そのため現代の新人は、じっくり学ぶ機会を得るのが難しい環境にあると言えるでしょう。

「自分は勉強のために時間をかけている。だから仕事が遅くて当然だ」と良い意味で開き直る勇気も案外必要だと思っております。(新人は生意気なくらいがちょうど良いですから)

人間の究極の幸せは「人に必要とされること」

これは日本理化学工業株式会社 取締役会長 大山泰弘さんの言葉です。

人間の究極の幸せは「人に愛されること」「人に褒められること」「人の役に立つこと」そして「人に必要とされること」

日本理化学工業はチョークの製造メーカーで、社員の7割が知的障害を患っています。大山さんはお寺の住職から聞いたこの4つの言葉をもとに、知的障害者でも働きやすい環境を整えることに注力しました。数字の読めない社員が粉の重量を測りやすくするために、重量計の代わりに天秤を設置してみたり、チョークの長さを測りやすくするために、正しい長さのチョークだけが通り抜ける穴のついた木片を使わせてみたりしたそうです。

これは経営者が機械よりも「労働者」を大切にしたとても美しい事例です。

また「人の労働力」には機械にはない魅力があります。それは「機械に目的を与える」という力です。機械はスイッチを入れれば自動で動いてくれますがそれを制御したり利用したりするのは結局「人間」です。私はこれを「文系力」と呼んでおり、機械にどう動いて欲しいかのストーリーを作り、機械に目的を与える力としています。機械を動かすのは「人を幸せにするため」であり、その目的のために動かすのはやはり人間なのです。

例えばプログラミングの需要が増えているのは、このような人間にしか持ち合わせていない「文系力」が必要とされているからと言えるでしょう。プログラムを書いて機械を動かすにはどのように動いて欲しいか「シナリオ」を描く必要があります。機械に目的を与えているのです。

また機械にはない人の魅力として「表現力」があります。近年「鬼滅の刃」が大ヒットしましたが、アニメは、絵やキャラクターのセリフ、音楽などさまざまな表現によって観る人を感動させます。

「アート」というのは機械では感じることのできない「人の温かさ」を与えてくれます。だから現代においてもアートにお金を払ったり、アニメや声優にファンがついたりと需要があるのです。最近ではアートセラピーという心理療法があり、絵や彫刻を制作することで自分の心を形にして、心の病を治療するというものです。そういった人たちを助けるために、アートセラピーのサポートをする人たちをアートセラピストと呼び、資格もとることができます。

現代社会で自分の心を吐き出す場所が少ない中、こうした機械にはできない、人の心の問題を解決する人が今後も必要になってくるでしょう。

世の中が便利になればなるほど、人の労働価値が下がっていくのは先進国の行く末であり、生きづらく感じるのは当然のことだと言えます。どこでもドアが開発されると車を作る人が必要とされなくなるようなもので、国が悪いわけでも今の若者が弱いわけでもありません。

むしろそんな時代を生き抜けていける若者はとてもたくましいと思います。

文系力の重要性

第二次世界大戦時に科学者たちが「核分裂」という原子の現象を発見しました。

それを知ったアメリカはその核分裂を兵器に利用すれば強力な爆弾が作れるのでは?といった経緯で原爆が作られました。それにより広島・長崎の人々が数十万人規模で犠牲になりました。

しかし戦後、その「核分裂」を原子力発電に応用し、効率よく電気を作れるようになりました。

このように「核分裂」は単なる現象に過ぎず、それ自体が使い道を教えてくれるわけではありません。使い方によっては原爆で数十万人の人間が犠牲になり、逆に原発で平和的な利用もでき得るわけです。

文系力は「選択する力」です。心理学や歴史、政治など、人間の心がどういう動きをするのか。過去の人間はどのような生き方をしたのか。あの国はどういう思惑があるのか。それらを考える学問です。

仕事においても目の前の仕事を終わらすために、作業のストーリー、オチをどのように持っていくか、全体を把握するために必要な力でしょう。

人を幸せにするための選択をするのは結局「人」です。機械にはない「文系力」を持った人間こそ、変わっていく世の中でも一貫して必要とされる人間なのではないでしょうか。

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